私が「日本山人参」について勉強しはじめた理由

国立大学病院で看護師をしていた私は、

整形外科、呼吸器外科、放射線科、救急科などの病棟で働いていました。

 

同じ国立大学病院ですが、転職もして、

さまざまな医師や看護師、その他の職種の方に出会ってきました。

 

大きな病院だったこともあり、

末期がんや重症糖尿病、脳卒中など病気に苦しむ方々の看護ケアを行いました。

重病を乗り越える患者さんと向き合い、

支えていくことはつらいことも多かったですが、

やりがいも感じていました。

(病棟では辛いことが山ほどあります。。)

 

でも、それと同時に

治療に苦しんでいる方を見ていると

「こんなに苦しむ前に何かできることなかったかな?」

と思うようになりました。

 

生活習慣病を減らせたらいいのに。。。

(特に、高血圧や糖尿病、心疾患を抱えた方が

手術することになると、術前から長く入院したり、合併症になったり、、

手術だけでも大変なのにさらにつらい思いをしてしまうことがあります。)

 

 

看護師として少し慣れて、ちょっと視界が広がってきたのか?

急性期の患者さんへの看護から一歩引いて、

予防医学について考えるようになりました。

 

そんなあるとき、(2017年7月5日)

北部九州豪雨により朝倉市が被災したのでした。

豪雨で山が崩れ、畑にはたくさんの流木が流れてきました。

祖父や父、親戚はフルーツ、米、日本山人参を作っていましたが、

畑は土砂で一部ダメになってしまいました。

(奇跡的に全員命は無事でした)

 

私は父に、

「もともと営業をやってたんだし、新しい仕事を探そう?」

と提案しましたが、

父は断固拒否!!(;゚Д゚)

「日本山人参と心中する!!」

と言い出したのです。

 

私は初めて父の日本山人参に対する想いに

耳を傾けることになりました。

 

それまでは(売れないお茶作ってどうするの?)

って思ってましたが。。(笑)

 

日本山人参の効能についても自分で調べ始め、

「あれ?すごい薬草だ!

これって私がやりたいことじゃない?」

って思いました。

 

予防医学、東洋医学に興味を持ち始めていた私は

日本山人参を広めたいという父の想いに賛同し、

販売活動に協力したいと思いました。

父と母と娘の物語。つづく。(登場しませんが弟もいます。)